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有馬、瑞宝寺公園の紅葉:Autumn leaves of Zuihoji Park in Arima.

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 9月下旬、神戸の有馬温泉にある瑞宝寺公園の紅葉を見に行ってきました。  紅葉の名所だけあって大勢の観光客が来ていました。  紅葉もまさに見ごろ、という感じでした。  日本の美しい秋の季節を感じて頂ければ幸いです。

瀬戸内国際芸術祭2019(高松港):Setouchi Triennale 2019 in Takamatsu Port

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 10月30日、大島に瀬戸内国際芸術祭2019を見に行ってきました。船の時間の前後で余裕が有ったので、高松港周辺の芸術祭参加作品も見てきました。   Liminal Air -core- 国境を越えて・海  内部(国境を越えて・海) 北浜の小さな香川ギャラリー うどん湯切りロボット 北浜の小さな香川ギャラリー Water colors 北浜の小さな香川ギャラリー Izumoring-cosmos of rare sugar 北浜の小さな香川ギャラリー LEFTOVERS 北浜の小さな香川ギャラリー うちわの骨の広場 「銀行家、看護師、探偵、弁護士」 「世界はどうしてこんなにうつくしいんだ」 (レンタサイクル) 待つ人/内海さん  間もなく瀬戸内国際芸術祭2019の会期が終わりになります。今年は全会期に使えるパスポートを前売りで買い、何とか全部見ようと思い、頑張って足を運びました。  すべてを見れたわけではないのですが、一応ほとんど見たと思います。  全体的な印象として、ああよかった! ということはなく、逆に、ああつまらなかった! ということもなく、まあ、こんなもんか! という印象でした。  ただ、このような芸術祭が、都会の美術館ではなく、瀬戸内海の島々で行われる、というのは、瀬戸内芸術祭の主旨にも書かれていますが、大いに意義があると思いました。瀬戸内の島々は自然景観としても素晴らしく、またそこには人々の暮らしの歴史や文化が有ります。少子高齢化で人口が減っているのも現実ですが、少なくとも記憶にとどめておくべき芸術の一つではないかと思いました。

瀬戸内国際芸術祭2019(大島):Setouchi Triennale 2019 in Oshima

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 10月30日、大島に瀬戸内国際芸術祭2019を見に行ってきました。  大島は、島のほぼ全域が国立ハンセン病療養所「大島青松園」で、ハンセン病の治療を終えた入所者が今も暮らしています。1996年に「らい予防法」が廃止されるまで国の誤った施策により故郷や家族から強制的に引き離され続けてきました。瀬戸内国際芸術祭の開催地の一つとして選ばれたことをきっかけに、アート作品、ギャラリーやカフェが誕生、様々な交流が生まれてきているそうです。  見学客もあまり多くはなく、外国人も少なかったように思います。又、皆さん大島の歴史的背景を理解した上で見学しているためか、静かに、粛々と見学している感じでした。 大島に渡る官用船。無料で乗船出来ます。 (高松港桟橋にて)  納骨堂 (この島で死んだ人は、死んでも島からは出られませんでした。) 風の舞:展示作品ではありません。 (約1,000人のボランティアの協力で作られたモニュメント。亡くなられた入所者を火葬し納骨した残りの骨を納めています。大島で生涯を終えざるをえなかった人々の魂が死後に風に乗って島を離れ、自由に解き放たれるようにとの願いが込められています。)    未完?の風の舞 風の舞の横にある観音像 なにかむなしく感じられました。 リングワンデルング (北の山に作られた周路。その途中から瀬戸内の島を望む。)  周路の途中に突如現れたアート 歩みきたりて (つながりの家)GALLERY15「海のこだま」  「Nさんの人生・大島七十年」…木製便器の部屋… (直接的に心に響く絵巻物でした。文章を読みながら見てください。) 森の小径  青空水族館  涙を流す人魚(青空水族館) 水中の多様な生きもの空間(青空水族館)  漂流物や廃材を使った造形(青空水族館) 漂流物や廃材を使った造形(青空水族館)   この他、写真撮影が出来なかった展示が少し有りましたが、全体的に、見終わって何か心が重かったような気がします。でも、このような負の遺産を見つめるのも芸術なのでしょう。

瀬戸内国際芸術祭2019(犬島):Setouchi Triennale 2019 in Inujima

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 10月22日、犬島に瀬戸内国際芸術祭2019を見に行ってきました。この日は即位礼正殿の儀の行われる日で休日でしたが、朝天気予報を確認すると快晴の予報だったので行くことにしました。連絡船が出る宝伝港は辺鄙な所で、公共交通機関は有るには有るのですがかなり不便で、休日でもこんな所に行く人は少ないだろう、という読みで行ったのですが、間違いでした。  11時発の船に乗る予定だったのですが、港にはすでに大勢の人が並んで乗船を待っていました。定員60名ほどの小さな連絡船で、1回では全員を乗せることが出来ず、臨時便が出ていました。  直島や豊島に比べると、総人数は少ないのでしょうが、小さな犬島にとってはかなりの人口密度であったと思います。  犬島には銅の精錬所である「犬島精錬所」が1909年に開設され、最盛期には5000人から6000人余りの人が生活していましたが、銅の価格が大暴落し、わずか10年で操業を終えました。現在の人口は約50人ですが近代産業遺産である精錬所跡を美術館として再生、保存し、現在ではアートの島として脚光を浴びているそうです。  犬島の写真を載せます。ここは時間に余裕が有ったので徒歩でゆっくり廻りました。 犬島精錬所美術館の広い庭  内部は写真撮影不可だったので、外部の遺構の写真のみです。  海岸で子供たちが遊び、のどかな瀬戸内の風景です。 石職人の家跡/太古の声を聴くように、昨日の声を聴く S邸/コンタクトレンズ  (全景) A邸/イエローフラワードリーム 定紋石:展示作品ではありません。 大阪夏の陣の後、徳川家康は西国大名等に命じて大阪城の修復を行わせました。 石垣は良質で大きな立派なものが喜ばれたそうで、工事を請け負った大名は 自分の紋を石に刻み込んで出したらしく、その石のことを「定紋石」と呼んでいます。 犬島にはその定紋石の残石が残っており、左巻きに三つ巴の紋が彫られています。 犬島は当時から良質な石材の産出場所でした。 (写真右下の石に定紋が見えますでしょうか?) (何故か、お賽銭が貼り付けられたり乗せられたりしていました。) 中の谷東屋 無題(C邸の花) I邸/Self-loop  I邸の庭